言わずと知れた米どころ、新潟県南魚沼。八海山をはじめとする山々に囲まれ、冬には雪に閉ざされるこの地は、豊富な雪解け水や伏流水が土を潤し、良質な米、そして酒を生み出すことで有名です。
盆地であるため夏になると日中は暑く、朝晩はぐっと冷え込むので、米の旨味が増すそうです。
そんな南魚沼の米農家に生まれ育った貝瀬さんは、学校を卒業後、音楽の仕事に携わりたいと東京に出てイベント運営会社に就職、6年ほどの東京生活ののちにこの地に戻り、家業を継いで2年ほどになります。
父子ふたりで貝瀬農園を切り盛りし、米の生産に携わるかたわら、東京にいた頃に立ち上げた農業レーベル「Soil Works」でプロデューサーとしても活動しています。
いったいどんな活動なのか? 緑豊かな山と水田が広がる南魚沼で農家+プロデューサーという肩書きを持つ貝瀬さんと、Soil Worksのメンバーにお話をうかがいました。
目次
「自然が相手。待ってくれない」思うようにいかないことを乗り越えて
あいにくの空模様。みずみずしく新緑に彩られた山々も、低い雲に白く霞む冷たい雨の中、トラクターがゆっくりと田んぼを進んでいきます。
操縦席には真剣な眼差しの貝瀬さん。田んぼの四隅までていねいに、大きな車体を器用に操っていきます。
「トラクターの運転はすぐに慣れましたね、車の運転と近いので。イベント会社時代に大型車で全国47都道府県ツアーを回ったりしてたから」。
「今年は天候が不順で、作業がなかなかはかどらない」と貝瀬さん。
数日前に体調を崩したとのことで、雨の中の作業は大変そうですが「自然は待ってくれない」と苦笑い。
代掻きが終わればもうすぐに田植え。田植えを待つ苗も予定よりも伸び始め、その確認もひときわ熱心になります。
「いつか戻るんじゃないかな、みたいなのはなんとなくあって」コロナ禍のタイミングでUターン
東京でライブ制作やコンサートツアーの運営などのイベント業に携わっていた貝瀬さん。業界はコロナ禍で大きな打撃を受けたといいます。
「イベントが軒並み中止になって。今後どうしようかなと考えた時に、地元でも何かおもしろいことができるんじゃないかなって思ったんです」。
子どもの頃から実家の米作りを手伝っていた貝瀬さん。田植えや稲刈り、袋づめなどの作業に慣れ親しみ、いつかは帰って家業を継ぐことは、本人も周りも自然と考えていたそうです。
「帰ってきて本格的に米作りを始めて、今までとは使うパワーが違うって思いましたね。まあけっこうな肉体労働なので。毎日30kgの米袋を運んだり、慣れるまでは体の使い方がわからなくて。それでぎっくり腰になりました」。
長く兼業農家だった貝瀬農園ですが、6年ほど前に専業農家になったといいます。
「この辺ってお年寄りがどんどん増えて、うちの田んぼやってくんねえか、っていう話が増えているんですよ。貝瀬農園もそれで大きくなったというのもありますね」。
それでもUターン人口は体感的には多いそう。貝瀬さんが主宰するSoil WorksにもUターンのメンバーが2人。
1人は家業の米づくりをしています。この地に縁がある人が多いですが、若い就農者も少しずつ増えてきているように感じるといいます。
「地元のいいものを伝えたい、届けたい」 Soil Worksは地元愛から始まった
2020年6月にスタートした Soil Works。最初の活動は米ブランドのプロデュースでした。
「地元を盛り上げよう、いいものを知ってもらおう! というのが軸にあって。当時まだ会社員でしたが米農家のせがれなので、まずは米をやろうかと。
「然然(しかじか)」という米ブランドを立ち上げました。渋谷でポップアップイベントをやって、DJを入れて。地元の八海醸造さんが提供してくれたライディーンビールが死ぬほど売れました。米は全然売れなかったんですけど」。
「おにぎりは売れたじゃん」とSoil Worksメンバーの芳川さんがフォローします。
メンバーは新潟と東京在住の計8人。就農者ではないですが芳川さんもUターン組で、3年前に地元に戻りデザイナーをしています。
山に囲まれた南魚沼にはスキー場が多くあり、スノーカルチャーが根付いているそうです。
農業だけでなくそんな独自のカルチャーを発信すべく、フリーペーパーの発刊や野外フェスの開催など、イベント会社での経験を活かし、さまざまな活動で地元を盛り上げています。
「生産者と直につながる機会を作りたいというところから始まって。そこからローカルカルチャーを集めて若者を熱狂させよう、と」。
「川の水が田んぼに流れる。川が汚れれば米がダメになる」南魚沼の米を愛し、米を生む土地を大切にする
ボランティアで集まってゴミを拾う「リバークリーン」は、川が汚れればおいしい米が育たない、との考えから始まった活動です。
「1回目の時、川の中からスキー板が出てきた! 投げ捨てたってことだよね」と芳川さん。
見るからに清々しい流れの中にそんなものが潜んでいるのも、お土地柄?
「峠道で意外と車通りもあってゴミの投げ捨てが多くて。思ったよりひどかったです。でもその川、めちゃめちゃ魚釣れるんですよ。魚って強いっすね!」
「そもそも、ここで米が作れなくなっちゃうんじゃないか」米どころ・南魚沼で米を作ることの感謝と共にある不安
「今は全国どこでもおいしいお米を作っているんですよ。その中で南魚沼産の米というブランドを作ってくれた、この土地の昔の人たちに感謝しています。自分もちゃんとやらないとなって」。
半年間通して、ゼロから育てて収穫する、それこそがやりがい。
「収穫して新米を食べる瞬間は、あー、よかった、今年も無事終わったという達成感がありますね」。
この地で米作りに携わる喜びとともに、高齢化が進む現状に不安を感じるといいます。
「今バリバリやっている人たちが60代ぐらい。20年後、その人たちが80代になった時どうなっているんだろう」。
そんな想いがあるからこそ、貝瀬さんは人が集まる仕掛けを模索し活動しているのかもしれません。
おいしいものには人が集まる、おいしいものを作り続けるためにも人を集めたい。
「おいしいものってみんな好きじゃないですか。人を呼ぶパワーを一番持ってる。いつかおにぎり屋をやりたくて。その場で握って出すスタンドみたいな。おいしい米と豚汁があれば、日本人ってそれで十分だよなって」。
「仕事って、仕える事って書くじゃないですか、それが嫌で。誰かに仕えるとか、指示されてやることって一番つまらない。そうじゃなくていかに楽しみながら、遊びながら働いて、いろんなものを作っていったらいいなって」。
それが貝瀬さんの仕事スタイル。これからもずっとここで米を作っていく、と話す貝瀬さん。
地元愛、お米への愛、さまざまな愛がつないだムーブメントは、これからも広がっていくようです。
「絶対に必要な仕事。誇りを持って、楽しんで働いて」
「大変だけど、やりがいはあります。この仕事って絶対に無くならないと思うんですよ、これからも。AIとかChatGPTの出現で仕事がなくなるって騒いでますけど、技術がどんなに発達しても、農業、一次産業系って影響が出るのが一番最後だと思うんです。絶対に必要な仕事だし、誇りに思っていいんじゃないかな。それから農業1本を突き詰めるのももちろんいいんだけど、別の仕事や自分が楽しめるようなことをどんどん見つけて2本軸、3本軸でやっていったほうが、世界が広がって楽しいんじゃないかなと思います」。