兵庫県北部・但馬地方で生産される黒毛和牛・但馬牛(たじまうし)。世界に知られる神戸牛や、松阪牛、近江牛といった日本のブランドビーフすべてのルーツで、和牛の元祖といわれる牛です。
1300年以上前からこの地で代々飼われてきた但馬牛は、牛でありながら戸籍を持ち、純粋な血統を守っています。
そんな歴史ある但馬牛を育てる田中畜産の田中一馬さん・あつみさんご夫妻を、緑が色濃く美しい、山あいの但馬地方・香美町に訪ねました。
肉牛を扱う畜産業は、繁殖農家(母牛に種付けをして子牛を出荷)、肥育農家(子牛を飼育し2年ほど太らせて出荷)、そして肉を売る精肉店と、それぞれの専門職から成り立つ分業制です。
しかし田中畜産はその3つすべてを一貫して扱う、とても珍しい経営を行っています。
加えて一馬さんには牛の蹄を切る削蹄師(さくていし)というもうひとつの顔も。その独自のスタイルの理由とは?
目次
「ただ動物が好き、から始まった」大学での体験が、この道へのきっかけに
出身こそ同じ兵庫県ですが、ご両親は警察官。畜産業とは無関係の環境で育った一馬さん。
きっかけはシンプルに「動物が好きだったから」。
牧場を作るテレビ番組を観て「牧場をやってみたい」と、北海道にある酪農大学に進学します。
そこで出会ったサークル「肉牛(にくうし)研究会」での経験が、田中畜産のもとになったそうです。
「そこでは自分達で種付けして、子牛を産ませて飼育し、お肉にして売るんですけど、そのお肉を買い戻して、学食などで精肉や調理したものを販売するんです。日本で唯一じゃないかな、そんなことしてるのは。そこで畜産業の一連の流れを体験することで、畜産のおもしろさに目覚めたんです」。
しかし畜産業は初期投資がかかり、大学の先生でさえも、やめておけ、というほどだったそう。
一馬さんもゼロから始めて独立することは無理だと感じたといいます。それでも独立を見すえ、研修先を探すことに。
「牛が飼えたらどこでもよかった」結局は人、そして縁。Iターンでこの地に根付く
北海道から九州まで全国の牧場を巡り、但馬の牧場での研修を決めた一馬さん。
「奥さんがいい人だったんですよ、きれいで優しくて。親方は怖かったですけど。住み込みなので、やっぱりいい人じゃないと、一緒にいるのつらいじゃないですか」。
と笑う一馬さんですが、研修ののち、そのままこの地で独立を果たすことになりました。
「結果、正解だった」と一馬さん。今ここにいるのは、縁があった、と。
一方、東北で育ち、近くに観光牧場がある環境で、動物、特に大型動物が好きだったというあつみさん。
大学附属のコースで酪農を学びつつ、牧場でのアルバイトを経て、一馬さんとの結婚を機に畜産の道へ。但馬にやってきました。はじめの頃は言葉や文化の違いに戸惑ったそうです。
「特に年配の方は、ほんとうに何を言ってるのかわからなかった! 豪雪地帯なのも知らなくて、ちょっとこれは無理!と思いました」
。
しかしその反面、来るまで知らなかった「但馬牛」の歴史や文化、この地の人が守り続けてきたものに魅了されたとも。
「女性だから大変ということは、あまり感じたことがない」話し合いにより、いいバランスを見つけて分担
生き物を扱うという完全なオフがない暮らしの中で、3人のお子さんを持つおふたり。
「ここはこうして欲しい、ということをお互いに話し合って仕事も家のことも分担できているので、特に大変という感じはないですね。けっこう好き勝手やらせてもらってます。」とあつみさん。
家事・育児も含め、おふたりでうまくバランスをとっているよう。精肉販売の肉のカットはあつみさんのご担当で「僕はぜんぜんできない。販売の方は、僕は雑用担当です」と一馬さん。
また、婦人会の集まりや品評会の場などでは地元農家の女性たちと、仕事だけでなく家事や子育ての情報交換も。
「年齢もバラバラなので、いろいろ教えてもらったり、教えたり。助かってます」。
「ひとりだったら、よう乗り越えんかった」ピンチがチャンスに。出会いが大きな成長に導いてくれた
純粋な血統を守る但馬牛は遺伝的に体が弱く、病気にも罹りやすいといいます。一馬さんも4年目に多くの牛を亡くしてしまうことに。
「牛を見る目がない自分のせいで、たくさんの牛を殺してしまった。お金が回らなくなって本当に大変でした。そんな時、削蹄師の親方を紹介してもらって」。
削蹄師になり収入以外にも得るものがあったそうで、「爪を切りに行って、そこでいろいろな農家さんに出会って、ものすごくたくさんのことを教わった。この人たち本当に誇りを持ってやっているんだなって」。
それまで人とのコミュニケーションが得意でなかったという一馬さん。そんな経験から「大失敗しないためには『ひとりにならないこと』。周りの農家さんの力を借りられる状況を作ることが大事だと、と若い子らにも話しています」。
「家畜の中でいちばんわかんない生き物」答え合わせしながら育てていく
豚や鶏と違い牛は飼育期間が長いため、個体差に加え環境要因が大きく、さらに牛は4つの胃袋を持ち、消化のメカニズムが複雑で「ブラックボックス」だと一馬さんは言います。
「今もわかんないし、毎日変わって昨年まではまってたものが今年は使えなくなる。そこを想像しながら牛を見て育てて、想像したとおりの牛や肉になった時に、やりがいを感じますね。わからないものを知る過程がおもしろい。近づけば近づくほどわからないおもしろさもあるし。生き物だから何かあったら死んでしまう。なんでもないこの日常というか、普通に牛が元気にしているっていうのが、すごく満たされます」。
好きなことを仕事にできているから、仕事自体がやりがい、と一馬さんもあつみさんも笑います。
上のお子さんふたりは、将来畜産業に就きたいと言っているそう。
「自分がゼロから始めたので、後継ぎっていうイメージはなくて。次の世代への土台作りというか、自分が地元の人にしてもらったことや苦労したことをサポートできたらいいかなと思っています」。
好きから始まった牛への想いは、着実に未来へとつながっているようです。
「好きという気持ちを大切に、味方を増やしてとにかく動く」
「まずは動きながら考えろ。今の考えがずっと続くことなんてなくて、常にアップデートしていくもの。本当にやりたいと思ったら飛び込めばいい。そしてひとりになるな。こうしたらなれる、という道はないから、自分でつくっていくのが大前提だけど、自分の力だけではできない。その地域に住んで、自分がアクションを起こして。例えば牧場に勤めながら、従業員で終わらず次のステップを周りにもきちんと伝えて。今は国の施策も増えているし、なんでもどんどん利用したらいい(一馬さん)」。
「最初の好きという気持ちを忘れないで。素直な気持ちを持ち続けて、周りの先輩にアドバイスをもらったり。考えすぎずに楽しんでもらえたらな、と思います(あつみさん)」。